「ここで勝たないと」7年振りの優勝が懸かるシーズン、鍵を握る阪大・飯田【大阪大学】
コロナ禍明けからの悪い流れを断ち切って、昨年ファイナル6に進出、総合8位と復活を果たした大阪大学。大きく順位を『戻す』ことに貢献したのが今回紹介する大阪大学のドライバー・飯田海地(いいだ かいち)だ。飯田は昨年オートクロスで2番手の好タイムを残し、エンデュランスでは後半を担当、燃料系トラブルを抱えながらもマシンをゴールまで持ち帰った。彼無しでは昨年の結果は得られなかった、と言っても過言ではないだろう。そんな飯田を擁する阪大が2025シーズンの目標に掲げたのは優勝。2010年、2018年と2度優勝を手にしてきたチームは今年、最大限に強い意思表示をしてきた。この目標達成には飯田の存在が鍵を握っていると見る。阪大優勝の鍵、ドライバー・飯田をピックアップする。


前回紹介した京工繊・吉田(リンク:「他のドライバーとの差を埋めたくて」用意周到に掴んだドライバーズシート、京工繊・吉田は大会史上初4連覇向けてより速く【京都工芸繊維大学】 -学生フォーミュラ 学生フォーミュラのコラムサイト|KAERU JOURNAL)と同様に高専から3年次編入で大阪大学に入った飯田。その経緯を語った。「高専で就職か、進学か迫れた時に『一度は他のコミュニティに入って、人脈について学んだ方がいい』という母親の言葉を受けて進学を選んだ」「自分にとってはチャレンジだったが、高専編入枠の多い阪大を受けた」とのこと。入学前から阪大の学生フォーミュラチームを知っていたという。「学生フォーミュラのことは知っていたけど、強いチームということは知らなかった」「フォーミュラマシンに乗れたらいいや、くらいの気持ちで入った」と最初からドライバー志望で学生フォーミュラに入ったとのこと。ドライバー志望で入ってくることからもわかる通り、元々運転好きの飯田、実は教習所に通わずに一発免許で一発合格している。「これだけは絶対記事に書いてほしい(笑)」「一発免許のための練習センターがあって、そこで練習して一発で受かった」「試験官に聞いたら一発合格は2年ぶりと言われた(笑)」と誇らしげに語った。免許を取った後もトヨタ86に乗り山道を走っていたという。入部直後、これをメンバーに話したところ学生フォーミュラに乗る機会が与えられたのだとか。初めて学生フォーミュラに乗った感想を、「最初はすごい怖かった」「今では考えられないが、めちゃくちゃエンストした」「エンジンのフィールがダイレクトすぎてビビった」「スリックタイヤのグリップの限界もわからず、とにかく未知のものだらけ」「視点も低いし、とにかく怖かった」と振り返る。


そんな飯田に学生フォーミュラに乗る機会を与え、現在の速さにまで引き上げたのがカートのキャリアがあり、エースドライバーを務める中田修斗(なかた しゅうと)だ。中田について飯田は「初めて修斗が乗ってるのを見た時は、こんな踏めるんだ!とかこんな速いんや!とネガティブに思った」「それ以上に助かったとも思った、走る度にアドバイスくれて師弟関係だった」と話す。中田から最初に指摘されたのはペダル操作だったという。「修斗から、ブレーキを止まるためだけに全部使っていて0か100しかない、と言われた」「アクセルももっと分解能を上げないといけない、と言われた」「それが最初の課題だった」とのこと。飯田はこの課題をカートとシミュレーターを使った練習でクリアしていく。「2023年の大会終わりからカートの練習をはじめた、めちゃくちゃ走った、腕が動かなくなるくらい」「そこでアクセルワーク、ブレーキの使い方、ヨーの扱い方、曲げ方を学んだ」「カート乗った後に学生フォーミュラ乗って、そこで修斗から課題を言われて、またカート乗って、を繰り返した」「カートで得られたものをきっかけにして、学生フォーミュラに運転を生成、積み上げていく感じでカートの練習を使っていた」「カートで頭打ちした時に、GがあるとなんとかしちゃうからGの無い状況で練習してみろ、と言われてシミュレーターでの練習を始めた」「その練習でブレーキがめちゃくちゃ上手くなった」という。こうした絶え間ない努力の結果、飯田は中田の背後に迫るほどの速さを手に入れた。


凄まじい勢いで成長した飯田を新たな課題が待ち受けていた。それは難しくも興味深い、中田とのセットの違いだ。師弟関係にあっても、飯田と中田それぞれが速く走るセットは全く異なるものになったという。「早い段愛から(セットの)好みの違いには気付いていた」「自分はくるくる回る車が好きだけど、修斗はあまりヨーを使わずにフロントグリップをしっかり引き出して、ステアを切り込んでいく感じを好む」「自分のセットは車の荷重変化が掴みやすくて、運転を変えてもそれに応えてくれ、躍動してくれる」と語る。このセットの違いは大会直前になっても落とし所が見つからず、結果としてドライバーで分けることになったとのこと。迎えた2024年大会、車の仕上がりにある程度の自信を持って臨めたという飯田だが、オートクロスではかなり緊張したとか。「大会中は減量と気にせず好きな物を食べていたけど、大会後は5kg体重が減っていた、それくらい緊張があったと思う(笑)」とのこと。オートクロスについて、「セカンドドライバーとしてまずはタイムを残すことが役割だった」「70秒くらいでいいから残せっていうチームオーダーだった」「1周目にタイムが残せたので、好き勝手に行っていいよね?と無線で聞いて、2周目はアタックした(笑)」「大会期間中でもチームのドライバーと競っていて、オートクロスも負けたくないと思って走っていた」と話す。そのチーム内争いは、午後に出走した中田がパイロンタッチをしたことで飯田の勝利に終わる。もちろん、午前に飯田が戦えるタイムを残したことで、中田が思い切りアタックした結果であり、チームとして戦略が成功したことは言うまでもない。この飯田が残したタイムはライバルのミスもあり、オートクロス2位をチームにもたらした。


これによりファイナル6に進んだ飯田、そして阪大チームだったが、最後の最後まで彼らを試練が待ち構える。エンデュランスを先に走り出した中田だったが、エンジンが吹けない。燃料系のトラブルだった。中田はなんとか10周を走り飯田に交代する。マシンに乗り込み走り出した飯田だったが、「正直これで走るん・・・って感じやった」「走り出したら、(前半よりも)症状が悪化していて、無線でずっと『吹けへんてー』て喋っていた(笑)」「(10周のうち)半分くらいずっと喋ってたら『吹けへんのわかったから、黙って運転しとけ!普通にコース走って!』と修斗に怒られた(笑)」「動的完走だけは叶えないとドライバーやってる意味がないと思った」「止まったらずっと『頑張れ、頑張れ』ってマシンを鼓舞していた」「ある程度冷静さはあって、アクセル開度0~10%をキーブしたり、クラッチの使いどころを探したり、マシンにGがかからないように走っていた」「一度エンジンが切れて復調したときは何やねん!と思った(笑)」「戻った思って、最後は修斗のタイムを上回りたくて鬼プッシュした(笑)」と、言葉の通り最後はペースを上げ完走した飯田。ゴールした瞬間ガッツポーズ、マシンから降りた飯田はビニールプールに飛び込んだ。


コースについて聞くと「バンプもあるけど車両姿勢が大きく乱れる感じもあまりなかった」「スプーンの逆バンクでスピンしているチームもいたけど、そんな感じはなかった」「概ね泉大津より路面がいいという印象」「泉大津だと右右の後のゆるいS字ではアクセルワークで少し荷重変化を起こしながら曲がらないといけなかったけど、ASEは踏みっぱなしでいけた」「小さいコーナーにどうアプローチするかでチームで色が分かれたと思う」「粘っこく曲がるチームもあれば、点を繋いで曲がっていくチームもいた」とのこと。


彼らの今シーズンは冒頭に書いた通り、優勝を取りに行くのみだ。「目標を決める時には、優勝と今回(2024年)の結果の中間ぐらいを狙うっていう部員もいたが、ここで勝たないと、今まで勝手に強豪って評価されて、ダサくないかとチームに話した」「京工繊を食いにいくつもりでいる、絶対優勝する」という飯田の言葉に、その時隣で話を聞いていたトラックエンジニアの高岡も「最終的には(今のチームは)優勝が出来るじゃん、っていう雰囲気になった」と付け加えた。阪大にはすでにモータースポーツキャリアのある中田がいる。速さはもちろん、様々なシチュエーションでの上手さ、器用さが光るドライバーだ。ただ中田の速さだけ、エース1人が速いだけでは優勝には手が届かない。京工繊を追いかける立場としてはもう1人、飯田の速さが必要になって来る。加えて、飯田持ち前の明るさがチームに良い流れを呼び込むはずだ。今シーズン、良い流れと勢いに乗った大阪大学と飯田に大注目だ。
写真:公益社団法人 自動車技術会