這い上がった先に見るは総合優勝【工学院大学】

今回取り上げるチームは一度その歴史が途絶えたことがある。2005年から参戦していた古参チームが経験したどん底、そこから再構築を成し遂げたチームとそれを牽引してきた人物が今回の主人公だ。2019年~2021年の間テクニカルディレクターを務めた工学院大学・宮田知弥、その人である。彼とは大会以前の合同テストから何度かコミュニケーションを取ってきたが、今回改めて話をする中で見えてきた一面も。2022年までの工学院のマシンを振り返りながら、宮田氏という男を少しだけ紐解いていきたい。

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ドライバーも務める宮田

工学院レーシングチーム(KRT)は2004年に発足、2005年から日本大会に参戦している。30名程度のメンバーが在籍しており、2022年大会はスキッドパッドで4位、オートクロスはペナルティにより順位を下げるも生タイムのランキングでは8番手に入る速さを見せる。総合順位でも健闘し、チーム史上最高の総合7位で大会を終える。マシンはHONDA製4気筒エンジンを搭載し、Hoosier製10インチタイヤを履く。上位チームの中では比較的短い1600mmというホイールベースを設定している。欠場する以前の総合順位は2012年20位、2013年22位、2014年21位、2015年26位と20位台を継続していた。過去実績は学生フォーミュラ日本大会2022大会結果報告書(PDF)も参照いただきたい。

工学院大学 工学院レーシングチームホームページwww.ns.kogakuin.ac.jp

冒頭にも書いた通り、それまで毎年参戦していた工学院大学は2016年、2017年の2大会を諸事情により欠場。翌2018年に入学してパワートレイン部門に就いた宮田氏は初めての大会を経験する。結果は98チーム中84位、それまでの戦績からは想像もつかないような大敗を喫す。コロナ禍の影響を受けてそれまでの技術、ノウハウが途絶え大きく順位落とすという2022年大会で見られた光景がそこにあった。当時を振り返り「そこまで悔しかったであったりとか、悲しかったというものはなかった」「ただ、この大会を最後に卒業する先輩方がエンデュランスリタイアの際泣いているのを見て来年は必ず完走させなければならないと思ったのは覚えている」と話す。学生フォーミュラを84位でスタートした宮田氏は2019年テクニカルディレクターに就任する。更にその年の7月にはチームリーダーも兼任することなり、1回生の9月にしてチームとマシンの全てを背負うことになった。「当時周りの同級生たちは車に深く興味関心をもっている雰囲気ではなく、何となく車好きで参加したようなメンバーが多かった」「技術的に探究心をもっている感じもなかった」「自分が何とかしなければならないと強く思った」とのこと。

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2018年マシン

 この年、それまでの13インチタイヤから10インチタイヤへと大きな変更をするも3年ぶりの大会で車検通過、エンデュランス完走を成し遂げ総合35位まで戻してきた。「2014年、2015年、2018年、全てうちのチームはパワートレイン、特に電装由来のトラブルでリタイアしていた」「設計段階から如何にトラブルなく信頼性の高い電装系、パワートレインを構築するかに重点をおき、パワーは二の次にした」「足回りに関しては外注を上手く使って精度の高い部品を入手できたこと、あとは設計段階から安全率方向にかなり振った設計をしていたことが挙げられると思う」「完走のキーポイントは電装、冷却、燃料(容量、漏れ含む)、ハブ周りの強度だと思う」と当時を振り返る。

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10インチ化した2019年マシン

このときのマシンをベースとして2020年コロナ禍の影響を受けながらもチームはマシンの小改良を積み重ねていく。マシン全体としてはキャリーオーバーとしながらもGT-SUITEの導入やエキゾーストの完全等長化など2022年に繋がるパワートレインの基礎をここで構築。フレームの剛性アップを狙ってリアセクションにも手を入れたが、2020年大会の中止によりマシンは2021年に持ち越しになる。

2021年、宮田氏は2019年以来チームリーダーとテクニカルディレクターを兼任することになる。コロナ禍による活動制限の影響を受けたチームの立て直しのため、再度宮田氏に白羽の矢がたった。「コロナ禍でメンバーが大幅に減ってしまった」「優勝へ向けた長期計画を実行するにあたって後輩教育が非常に重要で、下手に後輩を管理職ポジに付けるのではなく自分が管理職としての職務を見せながら学ぶ時間を作る必要があると思った」「当時1年生で入部したうちやる気、能力がありそうな4名を選抜して自分の直属の後輩とし、将来の管理職候補として自分の補佐を1年間やらせた」「その当時の4人のうち3人が22、23年度のチームリーダー、テクニカルディレクター、サスペンションセクションリーダーを連続で勤めている」とのこと。

2021年の公式記録会に持ち込んだマシンは「とりあえず壊れないこと、走ることを優先して作った」と話すように2019年、2020年の流れを組みながら堅実なマシンだった。そんな中でもドライバーポジションの変更やリアダンパーレイアウトの変更、アルミ・カーボン製マフラー、3Dプリンタでサージタンクを作る等を盛り込んだ。「フレーム剛性を実測したらめちゃくちゃ弱かった」「リアのベルクランク取り付け点剛性に着目して(ダンパーレイアウトを)変更した」と語る。またパワートレインのコンセプトは維持しつつエキゾーストのエンド径を変えてトライする等の細かなアップデートがあったようだ。

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2021年マシン、公式記録会
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2022年マシンにも搭載されたエキゾースト

ここで少し宮田氏の人柄に触れたい。当時のマシンについて「その時は、4発(4気筒エンジンを積む)マシンはパワーを使うためにリアをしっかりさせたい、と考えていた」「今はそれだけじゃないなと思っている(笑)」「自分の中の正解が更新されている」と話す。また速さを見つける作業の中では「いろんなバージョンを一度広げてから正しいもの(速くなるもの)を選んでいく考え方でやっている」という。こうしたところからも彼の柔軟さが垣間見える。さらに彼が上位チームを『憧れ』と表現したことがある。常に速さや結果に対してチーム内外問わず熱量を持って話す彼が自分より速いチームを『憧れ』と表現することに少し違和感を持った。これについて宮田氏は「自分たちの目標とそれに辿り着くまでのステップは明確になっている」「上位チームとの差と、そこに追いつく道筋もわかっているから悔しいというより『憧れ』に思っている」という答えが返ってきた。今回、話をするまでは過去に話を聞いてきた名城大学や名古屋工業大学のエモーショナルなエンジニアたちと似た印象だったが、彼らとはまた違った一面が見られた。競技に対して熱い姿勢を見せつつも自分やチームの状況を適度な距離感で俯瞰的に見ている視野の広さと柔軟さを持った人物だ。

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チーム略称『KRT』が入ったヘルメットから覗く眼鏡が宮田氏のアイコン